てきとうらいふ

ストイックとかむずかしい

「はてな」は不器用だから愛される

ときどき「はてな」について考えるので、ときどき「はてな」について書いてみる。
今日は不器用な「はてな」についてのお話です。

はてな」の本質

はてな」は技術の会社だとか聞いたような記憶があるけど、「はてな」はコンテンツの会社ですし、そのコンテンツの担い手によるコミュニティーがはてなの本質です。オープンなSNSです。
新しいサービスを生み出す技術集団だという認識は別に間違っていませんが、多くのユーザーは別にそこを評価して利用してるわけではありません。
どちらかというと野暮ったくて不器用な「はてな」の雰囲気が、同じように生きるのに不器用なユーザーを魅きつけるのです。そして、生きるのが不器用なユーザーの生み出す、煮詰まったり、絡まった、良く言えば純粋、悪く言えば青臭い思いが、コンテンツとして蓄積され、それがまた、「はてな」の世界を形成していくのです。

はてな」が不器用な点

繰り返しますが、「はてな」はコンテンツとその担い手が生み出す世界によって維持されています。決して技術力ではありません。
はてな」はそのことを自覚できてないので、他のブログサービスのように、優良コンテンツの生産者を囲ったり保護したりするような方向には進まず、新たなサービスを作る方向に注力し続けています。
はてな」は有名人も有名ブロガーも全然区別しません。ある意味平等だけど、コンテンツが命の「はてな」としてはとてももったいないことです。
優良コンテンツの生産者が他のサービスに移ってしまうようなことは、「はてな」にとってどれだけ痛手なのかわかってないのか、それともそんなことはないと思っているのか。コンテンツが薄まった後に残るのはキーワードスパムだけなのに。

だから「はてな」は愛される

ユーザーを増やしたいとか言っておきながらやってることはいつも???な「はてな」。
もっとこうすれば強みを伸ばせるのにっ、てことは何故かやらない「はてな」。
ゆるふわですね。IT界の愛されゆるふわ企業。
世知辛い世の中ですから、利益だ、コストだ、最適化だなどといわず、不器用に自分の道をゆく「はてな」の姿にユーザーは共感しているのかもしれません。大きくならなくてもいい、生きていればそれでいい。そんな感じ?

まとめ

というわけで、「はてな」はゆるふわでポッポ屋なので愛されている、そのままでいいよ、というお話でした。
ほんとは、コトリコの人とか平民新聞の人とかを「はてな」でお金出して(ライターみたいな感じで)囲えばいいのに、みたいなことを書くつもりだったんだけど、彼らにはもっと大きな舞台で活躍して欲しいと思ったのでやめた。